2011/10/30

逗子/葉山の放射能について

さて、土曜日は時間をなんとかつくって、逗子/葉山の放射能について専門家から話をきく、“逗子葉山は安心?安全?−原発震災による放射能汚染を考える–”を聞いてきましたよ。良い機会を作っていただいた逗子葉山青年会議所の方には大変感謝いたします。

僕の感じた要点は以下。
1.福島原発からの放射能は、“このまま大きな余震が無ければ”大規模放出はない。ただし、北風が多くなるこの時期に、放射能は飛んでくるでしょう(ただし微量と思われる)。
2.放射能が“飛ぶ”とは、ごみ、ちりにくっついて放射性物質が“移動する”ということ。放射性物質の重さは“関係ない”(ようは、セシウムだろうがプルトニウムだろうが付着すれば飛んできます)。
3.(比較して申し訳ないですが)福島市内の空間線量測定値が1マイクロシーベルト/時間、逗子市のある場所の測定結果が同じ結果だったとして、福島市内は、“市内全域”、逗子市のある場所は、“その場所”の結果。逗子市の場合は“その場所”に対する対策が重要。
4.これも一例として、20,000ベクレルのCs137から、0.5mの位置に1年間立っていると、55マイクロシーベルト/年。コレを食べると、1回につき、260マイクロシーベルト/年。ちなみに核種が違えば係数が違うので影響は大きく違い、また子供の場合はこの2〜3倍を安全として想定すべき(子供は感受性が高い)。
5.今、逗子葉山でやるべきという先生からの提言は、3.のような“その場所(=ホットスポット)”を示す様な汚染マップを自治体と協力して早期に整備すべき。また、食物による内部被曝が一番懸念されるので、せめて学校給食くらいはベクレル調査をしてはどうだろうか

と、こんなとこです。以下、上記から僕の考えることなのでホントかどうかは何とも言えません。
○逗子消防署?で計っている空間線量は低いため、まず普段生活する分には影響はなさそう。また、池子小学校で約8000ベクレル/kgの高いホットスポットが発見されているが、上記の20,000bqで260マイクロシーベルトとするなら、人が“間違って”この土を吸ったとしても、せいぜい1g(=8bq)程度?で、コレを吸っても0.1マイクロシーベルト/年程度の被曝で済む。僕としては、この程度ならば、放射能はあまり気にせずに、逗子葉山に“住む”ことは大丈夫に思える。
○もちろん、吸うより吸わない方がいいに決まっているので(子供の感受性は2〜3倍)、やはり汚染マップの整備は早急にやるべきで、最低でも近寄らないよう注意書きをすべき。
○食料は、本来全てのあらゆる食料に調査(bq表記)をすべきと思いますが、それがなされていない以上、産地に注意せざるを得ない(ただ、風評被害にならないように…)。また、学校給食のbq検査は最低でも行うべき(子供の感受性は2〜3倍ですよ)です。

汚染マップの作り方で、住民が持てるような簡易測定器は誤差が多すぎて使えない、という質疑回答が出ていましたが、ちょうどそれに関しては、“月刊ラジオライフ”が放射能測定器の比較特集をやっていたので、それを参考にすべし。


僕個人が、ネットで調べた結果では、上記雑誌とほぼ同じく、Terra mks-5が数字がほぼ公的測定値にちかく、シンチレーション式のDoseRAE2は若干低め、RD1706は若干高めに検出されます。たとえば、ある日の測定値、Terraが0.1ならDoseが0.08、RDは0.15です。計っている放射能の線種も違うので、詳しくは上記雑誌で確認です。もし、住民仲間内で調査をやるなら、一度逗子の公的測定局(消防署?)に全員のを持っていって、補正するのがいいかと思います。



んで、ここからはお願いなんですが、逗子市議会は、海の家問題でキマグレンを証人喚問するくらいの時間と暇があるなら、汚染マップの作成に尽力してくれないものでしょうか?住民にこの調査の負担をするために、簡易測定器を買わせて、やれというんででしょうかねぇ、この議会は…。
さらに、学校給食のbq調査が、逗子市議会で圧倒的賛成少数で否決されたのはなんでですかね?

あ!わかった!子供や幼児は逗子市政には文句言わないから、後回しなんでしょ…な〜んて、勘ぐっちゃいますよ。

いや〜、特にいらんと思って買っていないのですが、マジで次のボーナスでは自分で測定器買わなきゃダメかなぁ…なんて。

2011/10/25

穏やかな日曜日

さて、海の上は外しましたが…。
たっくんの体操に行ってから、この日はうみのこびとのバザーに行ってきました。去年に引き続き、魚釣りなどやってましたよ(^^)。自分の子どもが幼稚園に行くようになって思いますが、なるほど、シュタイナー的教室作りは、子どもが落ち着きそうだよね、なんて感じながら教室拝見。たっくんと、森のこびとさんを色分けしながら、“相談…”、“整列…”なんてほのぼの(商品ですいません(^^;)。
今日はたっくんと僕が自転車、相方さんはみーくんをつれて歩きだったので、みーくんを僕が預かって、2人乗り(違法ですから)して遊んだりして(笑)
さてその後、
お友達と逗子開成の学園祭に行って(いろいろ見たかったんだけど、延々と鉄道研究会ばかり見てました(苦笑))、それから海で遊んで…。
帰りはもう4時過ぎ。影がなが〜くなってましたね(笑)。穏やかな日曜日でした(^^)

2011/10/23

あら、外した(苦笑)

さて、
週末は日曜日の朝方はそこそこ吹くんじゃないかと期待しておりまして…。
ひょっとして、5.3m2か、5.9m2くらいで気持ちいいんじゃないかと思って、朝六時に起きて外を見てみれば…

そよそよ…

で、あれれ?と思ったんですが、せっかく早起きしたし、平日あんなに北風で気持ち良さそうだったので、悔しかったし(苦笑)、手持ち最大で出艇しましたが…

全然走らず…

でした(苦笑)。湾口まで風を拾いにいってみたんですが、そこから見えた江ノ島と富士山と、ちょこっと見える青空が綺麗で、それだけが救い(笑)でしたね(写真撮りたかった〜)。昼間は体操のおつきあいやら、開成高校の学校祭やらでやっぱり海の周りをうろうろしてたんですが、走ったり…走らなかったり…だったんですかね?
ま、穏やかな一日でした〜。

2011/10/22

運動会(^^)

さてさて、平日に動いてしまった運動会。それでもなんとか調整して、行って来ましたよ(^^)。会社の方には迷惑をかけました(^^;。
さ、くす玉割から、競技はスタートです(^^)。たっくん、朝方は、

『運動会、中止にならないかな、本番、やだなぁ…』

などと言っており、昨年が思い出されましたが…、始まってみればみんなに混じって元気よくやっております(^^)。もうみんなでやってると紛れて誰だかわからない状態(^^)。
この風船、といったらいいのか、大きな布を使った競技が一番見応えありました(^^)。見ていて楽しかったです(^^)。もちろん、当人は元気よく参加(^^)。
昨年に引き続き、親も綱引きに参加です。なんせ、走ったら転ぶか、どこかトンデモナイ怪我をしそうなので、自主規制です(苦笑)。ちゃんと勝ちましたよ(^^)。
そして子供の最後の競技となるリレー(^^)。当人の真剣な顔と、頑張っている姿にワタクシはファインダー越しに思わずうるうるでした(笑)。もっとも、今日休んだ分の仕事の消化を考えると、全く別な意味でうるうるしてたりして(苦笑)。
さて、最後は去年に引き続いてみんな金メダルもらって大喜び…なんですが、たっくんはどういう心境なのか、“去年のメダルはおとーさんにあげる、今年のはおかーさんにあげる、来年のはみーくんにあげる”と決めておりまして、いったいどうしてそういう心境なんだろうね、と親はとっても不思議がっております(苦笑)。
当人赤組でしたが、赤組はずっと練習で常勝だったのが、本番で結構白組にやられまして(苦笑)、なんか当人としても、ちと納得がいかない様子でした(苦笑)。
お疲れ様だったね(^^)

2011/10/20

ハロウィン(^^)

さて、今年も我が家にはかわいいオバケさんたちがやってきました(笑)。玄関でお出迎え。
我が家の窓にもオバケさん達。ちなみに、下の二人?のオバケさんはたっくんが貼ったらしいのですが、“仲良くふわふわしてるのね”と相方さんが言うと、

『いや、おっきいオバケがちっちゃいのをどこかに連れてっちゃうの( ̄ー ̄)ニヤリッ』

って、あんた発想がコワイです(苦笑)。ねないこだれだ、の見過ぎかな(^^;

2011/10/17

さて、困ったぞ…

さて、今日はたっくんの運動会………だった筈なんですが…。

朝方までの雨と、強風で延期。

あちゃ〜。


せっかく相方さん、頑張って作ったのに。
たっくんは昨日は外に出ず、体力温存にはしっていたので、今日は体力を使わないといい加減発狂する(苦笑)ので、横浜美術館→ボーネルンドのいつものパターンで。



今日は寝る時に、『体がぼよんぼよんしてる〜(トランポリンやランニングのし過ぎ(苦笑))』というくらい体力つかってとりあえずさっさと寝ました(^^)。

ですが、
今度は平日に運動会が動くわけですが、“お父さん、こないのぉ”と少々泣き顔に(苦笑)。しかし、いきなり休めと言われてもねぇ…(大汗)。

困ったなぁ(苦笑)。

2011/10/16

久々に海

いや〜、土曜日の海はなんか、やられた感ばかりが強い一日でございやんした。
避難訓練、ありました。
たっくんと一緒にオレンジフラッグを確認。こういう事態が起きないことを祈るばかりです。

2011/10/13

大変だなぁ…

さて、震災7ヶ月。

相変わらず東北に出張に行っている今日この頃ですが、なんか行く度に湾岸被災地の地盤沈下が進んでいるように感じます。先日なんか、一週間前に通れた道が、冠水してしまって通れなくなってしまっていました。高田松原の周辺も、このような冠水状態。

復興は遠いなぁ、と思いつつ、それでも家を建て直している人もいて(建築確認取れているのかなぁ?)なんかちょっと複雑です。
先日、NHKで特集やっていましたが、逃げるときの正常性バイアス、愛他行動、同調バイアス…。なんか、すごいよくわかるっていうか、きっと僕も震災にあったらそうなるなぁと思えたり。しかし、家の場合は、“初動”が全てになりそうです。最初の10分でどこまで動けるか、正確な情報を得られるか、これが全てを決めそうな感じです。パニックにならないためには、日頃からよくよく考えておくことなんだろうなぁ、と思う今日この頃です。

2011/10/11

いろいろ、ありがとう。

さて、もうそこら中で話が出ていますが、Apple社の元最高責任者のSteve Jobs氏が亡くなりましたね。まだ、56歳だったんですね。残念です。

僕がAppleの製品と会ったのはLCの時代くらい。まだまだMacintosh II やClassicが幅を利かせていた時代でした。
当時、資料を作成するのに、親父の関連会社のワープロ(Oasis)を使っていたのですが、WYSIWYGで表示できるApple社のPCに一発で心を奪われました。
当時でいうと、DTPソフトのページメーカーと、フォトショップですかね。OSはまだ漢字Talk6の頃で、当時いろいろなプラグイン(でよかったんだっけ?)をいろいろ読み込ませては遊んでいました。
自分の所有物としては、大学3年〜4年の頃に、知人からPowerBook145Bを譲ってもらってから。バッテリーを数度変えながら、3〜4年使ったかなぁ。まだ白黒、メモリが4MBHD80MB、漢字Talk7でした。それぞれ、RAMDobblerとか、HDの仮想容量倍加ソフトを使ってやりくりしていた頃が懐かしいです。周りでは、LC 475やら、一体型のLC520あたりが売れ筋になり、学生はみんな手に入れていましたね。

大学を卒業した頃でしょうか?JobsAppleから追放されて、僕はPowerComputing MacOS互換機を使いだしました。この頃が漢字Talk8MacOS9。この頃は据え置き型PCをいろいろ使っていて、知人からPowerMac9500を入手し、PowerPCチップを入れ替えたり、グラフィックスカードを入れ替えたりして、まさにしゅみはMac、というある意味オタクぶりでした()。そうそう、会社が廃棄した28インチくらいのCAD用モニタをもらって来て、机に載せたら机が歪んだりなんてこともあったかなぁ。この頃は、Macを使う、と言うだけでなく、Macをイジル、ということも楽しかった頃でした(そう言えば、JobsさんがAppleを離れていた時期だなぁ。。。)

Jobsさんが戻って来てからは、相方さん(当時彼女)がPowerBook520cから、iBook(クラムシェル)を使いだして、再び“JobsさんのApple”との付き合いが始まりました。僕もノートパソコンを、FujitsuLooxから、再びiBook(whiteG4)に戻したのもこの頃。OSMacOS Xになっていました。
結婚してから、メイン機とノートPCを分けるようになって(海外業務が発生したのを気に)iMacG5を入手し、現在の据え置き+ノートの我が家のスタイルに落ち着きました。それから、G5インテル入ってるに切り替えたり(この時点でMacOS9を切り離し、完全に漢字Talkとはさようならになりました)iBookからMacBook(アルミニウム)に更新したり、
iPodを買ったり、iPod Touch2代目だし、AppleTVを買ったり。。。って、貢いでるなぁ<俺(苦笑)




みんな言いますが、僕がJobsさんが好きだった所は、潔く古い部分を切り捨てる所だったりします。フロッピーディスク、RS232CPCの拡張性etc…今ではそういったコネクタ・拡張機能がないことが当たり前だったりしますが、みんな彼が捨て去ってしまえ!的にApplePCから外してしまったことが、新しい価値観を生み出したとも言えます。
そんな彼の最後の作品となってしまったiPhone4ですが、これだけ貢いだ身ではありますが、まだ当分手を出すつもりはないです。iPhone4Sは、相変わらず出来ないもの(装備)はつけない、とその美学を打ち出しますが、今の僕には必須のFelicaやら防水機能やらがないので…。多分、この先ずっと付くことは無いでしょうから、iPhoneとは縁がなさそうですね。

いろいろ楽しませてくれてありがとうございました>Jobsさん。

2011/10/10

久木大池

さて、連休中日は横浜美術館で遊んでちょっと買い物。そして最終日はのんびり、まずは家でレゴなど作って遊んでおりました。

天気もよかったので、おべんとを持って、今回は久木大池へ遊びに行くことにしました。
綺麗に整備されたんですよ、と相方さんは聞いていたようですが、僕はこんな所があることもあまり(いや、何度か相方さんには言われたような気もしますが…)知らず、行ってみるとだいたい30分くらいでくるっと回れるコースが出来上がっていて、まぁまぁなお散歩コースでした(^^)。

今回は自転車で移動。家〜久木大池〜図書館でしたが、彼のスピード感と運転操作から、そろそろ補助輪は外したいところです。練習しなくちゃ。

2011/10/09

ううっ、腰が痛い(笑)

う〜ん、ブログネタはあるんですが、なかなか更新できん(^^;

三連休初日、今日は“お山で大冒険”を目的に三浦アルプスへ。
川久保から森戸川沿いを歩いて、二子山に上がって馬頭観音、そこから田浦で三浦半島横断か、もしくは東逗子/沼間へ抜けるか体力次第…といったところ。スタートは9時家発…と思いましたが10時を過ぎるのはいつもの“お約束(爆)”
まずは川沿いをいろいろな花やドングリを拾いながらちょっと“セカイ”に入りながらてくてく…。
ちょうど12時に二子山/森戸川源流/(アルプス)中尾根の分かれ道に到達して昼食。
二子山へのルートは5月に往復しているのでわかっていたのですが、たまたま“歩こう会”系の下見のリーダーさんと会って、源流方向に上るのも楽しいよ、と言われ、せっかくだから付いて行くことに(^^)。


 沢登りしたり、

ぐらぐらの橋を渡ったり…
 午後は予定通り、“大冒険”です(^^)。

りーだーさんのペースに引っ張られて、2時ちょい過ぎには馬頭観音に到達。おじいさん(失礼)はそのまま田浦方面に行くと言うことで(こちらはたっくんが“棒歩き”状態になりはじめていたので)ここでお別れ。

『おじいさんとまた会えるかなぁ(^^)』

とたっくんはすっかり懐いてしまいました。ありがとうございました。翌日は90人からの方を連れてくるんだそうです。
さて、馬頭観音で大休憩をとって、4時には逗子に帰って久々にモーモーズでソフトクリームを食べて、連休初日終了です。たっくんも大満足でした。

『………僕はいちにち動けなかったんですけど(--)』