僕がAppleの製品と会ったのはLCの時代くらい。まだまだMacintosh II やClassicが幅を利かせていた時代でした。
当時、資料を作成するのに、親父の関連会社のワープロ(Oasis)を使っていたのですが、WYSIWYGで表示できるApple社のPCに一発で心を奪われました。
当時でいうと、DTPソフトのページメーカーと、フォトショップですかね。OSはまだ漢字Talk6の頃で、当時いろいろなプラグイン(でよかったんだっけ?)をいろいろ読み込ませては遊んでいました。
自分の所有物としては、大学3年〜4年の頃に、知人からPowerBook145Bを譲ってもらってから。バッテリーを数度変えながら、3〜4年使ったかなぁ。まだ白黒、メモリが4MB、HDが80MB、漢字Talk7でした。それぞれ、RAMDobblerとか、HDの仮想容量倍加ソフトを使ってやりくりしていた頃が懐かしいです。周りでは、LC 475やら、一体型のLC520あたりが売れ筋になり、学生はみんな手に入れていましたね。
大学を卒業した頃でしょうか?JobsがAppleから追放されて、僕はPowerComputing のMacOS互換機を使いだしました。この頃が漢字Talk8〜MacOS9。この頃は据え置き型PCをいろいろ使っていて、知人からPowerMac9500を入手し、PowerPCチップを入れ替えたり、グラフィックスカードを入れ替えたりして、まさにしゅみはMac、というある意味オタクぶりでした(笑)。そうそう、会社が廃棄した28インチくらいのCAD用モニタをもらって来て、机に載せたら机が歪んだりなんてこともあったかなぁ。この頃は、Macを使う、と言うだけでなく、Macをイジル、ということも楽しかった頃でした(そう言えば、JobsさんがAppleを離れていた時期だなぁ。。。)
Jobsさんが戻って来てからは、相方さん(当時彼女)がPowerBook520cから、iBook(クラムシェル)を使いだして、再び“JobsさんのApple”との付き合いが始まりました。僕もノートパソコンを、FujitsuのLooxから、再びiBook(whiteG4)に戻したのもこの頃。OSはMacOS Xになっていました。
結婚してから、メイン機とノートPCを分けるようになって(海外業務が発生したのを気に)iMacG5を入手し、現在の据え置き+ノートの我が家のスタイルに落ち着きました。それから、G5をインテル入ってるに切り替えたり(この時点でMacOS9を切り離し、完全に漢字Talkとはさようならになりました)、iBookからMacBook(アルミニウム)に更新したり、
iPodを買ったり、iPod Touchは2代目だし、AppleTVを買ったり。。。って、貢いでるなぁ<俺(苦笑)。
結婚してから、メイン機とノートPCを分けるようになって(海外業務が発生したのを気に)iMacG5を入手し、現在の据え置き+ノートの我が家のスタイルに落ち着きました。それから、G5をインテル入ってるに切り替えたり(この時点でMacOS9を切り離し、完全に漢字Talkとはさようならになりました)、iBookからMacBook(アルミニウム)に更新したり、
みんな言いますが、僕がJobsさんが好きだった所は、潔く古い部分を切り捨てる所だったりします。フロッピーディスク、RS232C、PCの拡張性etc…今ではそういったコネクタ・拡張機能がないことが当たり前だったりしますが、みんな彼が捨て去ってしまえ!的にAppleのPCから外してしまったことが、新しい価値観を生み出したとも言えます。
そんな彼の最後の作品となってしまったiPhone4ですが、これだけ貢いだ身ではありますが、まだ当分手を出すつもりはないです。iPhone4Sは、相変わらず出来ないもの(装備)はつけない、とその美学を打ち出しますが、今の僕には必須のFelicaやら防水機能やらがないので…。多分、この先ずっと付くことは無いでしょうから、iPhoneとは縁がなさそうですね。
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